2009年11月8日日曜日

カーネギー自伝


◆ アンドリュー・カーネギー 著 / 坂西志保 訳 『カーネギー自伝』 (2002,中公文庫)

「カーネギー・ホール」(なんかかっこいい)や「カーネギー・メロン大学」(かなりこっけい)にその名を残す米国の鉄鋼王の自伝。文字どおり立志伝中の人物の立志伝である。

スコットランドの貧しい家庭に生まれ、家族とともに新大陸に移住した幼少期から、ペンシルヴァニア鉄道会社に勤務し後に自ら実業家として活躍する青壮年期を経て、金儲けから手を引き慈善家、社会活動家に転進する晩年と、3つの時期が順に描かれ、それぞれにおもしろくもあり教訓も与えてくれるのだが、個人的にいちばん興味深かったのは晩年の部分だ。

マーク・トウェインやハーバート・スペンサーから合衆国大統領、ドイツ皇帝まで幅広い有名人との交友が語られる。批評家のマシュー・アーノルドをビリングスというコメディアンと引き合わせ意気投合させるエピソードなどは、まさに多方面の有名人に顔が利く財産家ならではのはたらきだと思う。その一方で、手に触れる物すべてを黄金に変えてしまうミダス王のような人生を想像してしまうのは貧乏人のやっかみだろうか。

カーネギーが魅力的な人物であったことは間違いないと思う。しかしまた、この本の後半に登場する有名無名の人々が彼に向けて発する言葉やふるまいのいちいちに、彼の財産がおのずから影を落としてしまうことは否定できないだろう。そしてまた、そういういわば私的な領域が一切ない人生を、腐りもせず拗ねもせずに受け容れることができた人物というのは(この本を読む限り、著者は決して鈍感なおめでたい人ではないだろう)、やはり凡人の理解の範囲を超えた傑物であると思うのだ。