2009年5月21日木曜日
日本と中国
◆王敏『日本と中国――相互誤解の構造』(2008,中公新書)
マイペースで話が脱線する、怪しげな独自の統計調査が行なわれる、いつのまにか著者が外国人一般を代表してしまう。そういう引っかかる点は多々あるが、本書の基調をなす主張には心から賛同する。日本と中国は「同文同種」とはいえ異文化、全く性格を異にする文化である。そのことを理解せず、また理解しようともせずに闇雲に中国を拒絶する人が多い気がする。そういう人々も、また、中国嫌いと同様に情緒的な中国心酔家も、その思い込みゆえにいつか足元をすくわれると思う。中国人は日本人ではないのだし、日本人は中国人ではないのだから。同じであることだけがよいことではないし、同じであればすなわちよいというわけでもない。違いを認識し尊重すること、あるいはそれ以前に、違いを前提に置いて接することは、中国人であれ西洋人であれ、異文化人と付き合う上での当然の出発点だろう。
日本人が日本を理解する上で、中国という鏡を持つことの意義は計り知れない。西洋人だけを基準にするならば、その対比から知られるのは差異に過ぎない。「日本人が繊細である」ことは、「西洋人が繊細でない」ことと表裏をなすに過ぎない。第三極を得てはじめて、日本の独自性は浮かび上がる。しかもこの第三極は我々にとって千年来の師である。日本人が中国を知ることは、自らを省みる上で、他からは得られない機会を提供してくれる。
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