◆ハイエク全集Ⅱ-1 渡辺幹雄 訳 『致命的な思いあがり』(2009,春秋社)
ハイエクの最後の著書だが、完成前に著者が再起不能状態に陥ったため、バートリーⅢ世という人が完成してハイエクの生前に出版している。
おもしろかった、というか蒙を啓かれる感があった。原著には「社会主義の誤り The Errors of Socialism」という副題がついているが、単なる社会主義論駁以上の洞察に満ちている。論も明快だし、ハイエクの最初の1冊としては『自由の条件』よりもこの本の方がいいのではないかと思う(訳文もずっとまともだし)。
特に第1章「本能と理性のあいだ」の、人間の文化・道徳・習慣を本能と理性のどちらにも属さない進化的過程と位置付ける議論は、たいへん啓発的だった。
文化的進化は先月読んだ『ダーウィン文化論』のテーマだが、同書が(その原題 Darwinizing Culture が示すように)「文化現象をダーウィニズムで解明しましょう」というスタンスからの議論であるのに対して、ハイエクは「(道徳や市場秩序などの)文化現象は進化的過程である」という発想の源流をヒューム、スミス、ファーガソンら18世紀スコットランドの思想家にまで遡り、ダーウィンの生物進化論はむしろその影響下で誕生したのだとする(この議論はたしか『自由の条件』にもあった)。
※ 『ダーウィン文化論』は正確にはミーム論なので、議論の焦点は単に「文化現象の伝播はダーウィン的(進化的ないし適応的)過程か?」ではなく、むしろ「文化現象の伝播はドーキンス的(複製子ないし利己的複製子による)過程か?」にある。ダーウィン自身は遺伝のメカニズムとしてメンデル的粒子説に思い到らず融合説しか持ち合わせていなかったことを考えると、なおさらこの本のタイトルはミスリーディングであり、Neo-Darwinizing Culture とか Dawkinsizing Culture とした方が内容を正確に反映するだろう(商品名としてどうかというのはあるけど)。文化現象の進化を考える時、生物進化論から学ぶことが多いことに疑いはないが、基本的な道筋としては、ミーム論のように生物進化論のアイディアを性急に移植するよりも、ハイエクが示す伝統から出発する方がはるかに健全であると思う。
ところで、唐突な話だが、ハイエクの着眼点はカフカを悩ませた謎に通じるものがあるといえないだろうか。人間の道徳やルールを「本能と理性のあいだ」の進化的過程として位置づける議論は、カフカにおける「掟、法 Gesetz」の問題を解決するわけではないにしても、この問題の謎的性格を払拭するのに役立つと思うのだ。「掟の問題 Zur Frage der Gesetze」(岩波文庫『カフカ寓話集』所収)や有名な「掟の門前 Vor dem Gesetz」(同『カフカ短編集』所収)を読むと、カフカにハイエクを教えてあげたくなる。
第6章「交易と貨幣の神秘的な世界」は、商いに携わる者をこんなに励ましてくれる文章は読んだことがないというほどの、一編の散文詩のように美しい商人讃歌だ(うーん、「商」という字があるだけで滑稽味を帯びるのは困ったものだ)。江戸の昔から蔑まれ続けてきたわれらの積年の溜飲を下げてくれる、商売人、営業マン、金融関係者必読のテキストである。
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