2009年9月27日日曜日

アメリカ言語哲学入門


◆冨田恭彦 『アメリカ言語哲学入門』(2007,ちくま学芸文庫)

序章的な第Ⅰ部を除けば、20世紀後半のアメリカ言語哲学を紹介する前半(第Ⅱ部)とそこで得られた視点をもとに近世哲学史を振り返る後半(第Ⅲ部)からなる。これだけでもちょっとヘンな構成だが、第Ⅱ部で大きな紙幅を割いて取り上げられるのが、サール、ローティ、クワインの3人。ふつうの分析哲学の入門書ではない。

サールを紹介する部分は後ろとのつながりもこじつけめいているし、内容的にもおもしろくない。クワイン=デイヴィドソン=ローティという反表象主義の系譜を描きたいのだから、もともと共感もないサールよりデイヴィドソンをもっと詳しく取り上げて欲しかった。

ローティにはイロモノのイメージがあるが、そういう先入観を超えて「けっこう重要な人かも」と思わされた。それくらい魅力的に紹介されている。

第Ⅱ部の最後に「補論」として、クワインの哲学が「二つのドグマ」以前の時代にまで遡って紹介されている。それがたいへんわかりやすくためになった。この本でいちばんよかったところ。

第Ⅲ部はデカルトとロックをおもに扱っているが、これもおもしろい。ロックなど退屈な上にスキだらけのボンクラ哲学者と思っている人は多いと思うが(自分のことです)、それは大まちがいのようだ。

構成に疑問は残るが、全般に説明がわかりやすいし、切り口もおもしろく、議論にも説得力がある、いい本だと思う。ただ、細かく参考文献を挙げている注で、著者自身の名前がくどいほど出るのに、他に日本人の名前が(訳書の訳者名すら)一切出てこないのはどうしたことだろう。日本の研究者など相手にしない(参照していない)ということかもしれないが、日本語読者への入門書としてはやはりどうかと思う。

このごろ「分析哲学」という言葉をあまり聞かなくなった。というか、この言葉がいつのまにか古色を帯びた。その後、英米の哲学は形而上学へと舵を切ったとうわさに聞くが、「言語主義的ノミナリズム」はどう清算されたのだろう。

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